エコアス馬路村

木々が大地に根を張り、天の恵みである雨水を貯える。

地中へとしみ込んだ雨水は、
やがて小さな流れとなって谷へ湧き出る。
小さな流れはいくつも重なり合い、
山間を抜けるころには奔流へと変わり、
遥か遠く太平洋へと注ぐ清流となる。

馬路村を流れる清流・安田川には、鮎やアメゴ、天然の大ウナギが生息し、
山には春の山菜、秋の松茸、冬のイノシシと、自然は一年中私たちに恵みを与えてくれる。

その森の恵みである命を頂いて、私たちは暮らしてきた。

森に感謝し、その恵みである命に感謝する。

自然の摂理の中で、決して忘れてはならないこと。
森が育む、命への感謝。

『山間を流れる』

木々に吸収された雨水は、落葉の間を通って地中へとしみ込む。
その一滴一滴が岩の間や砂地から沁みだし、やがて小さな流れとなる。
川に棲むすべての生き物の始まり

そして、山の谷あいから小さな流れが集まって渓流となる。
流れ込みには、渓流の主・アメゴが棲み、シーズンになると釣り人たちが賑わいを見せる。
人ごみも無い、車の騒音も無い、聴こえるのは鳥のさえずりと、心地よく流れる川の音だけ。
自然の中に身を通じ、自然との会話を楽しむ時間がある。

『名人たちの競演・安田川の鮎』

山々を抜けた流れは、清流・安田川となって遥か遠く太平洋へと注ぐ。
清流と言えば、日本最後の清流と言われる「四万十川」が有名だが、馬路の山奥から続く安田川も負けず劣らず清らかな川だ。

そして、夏の清流は「森の恵みの宝庫」となる。

安田川には、毎年6月1日の鮎漁解禁日(友掛け)になると、全国中から鮎釣りファンがやってくる。
アユ釣りの全国大会予選が行われるほど、安田川の鮎釣りは有名だ。

「安田川の鮎は日本一じゃ!!」と、村人たちは豪語する。
利きアユ全国大会で1位に輝いた実績のある「安田川の鮎」は、20㎝程度までの良型なものが多く、鮎本来の香り、身の旨味が楽しめる。

『名人たちの競演・安田川の鮎』

馬路村には自薦他薦問わず、鮎釣り名人が沢山いる。
道ですれ違えば、

「どればぁ釣ったで~?」
「誰やろさんは、こればぁのがを釣ったと~。」※大物を釣った。
「どこやろは、この前行ったけんど、ひとっちゃあ鮎がおらん。」※●●というポイントには鮎が居なかった。
「ほんなら、明日は別の場所に行かんといかんなぁ。」

と、鮎釣りの話で持ちっきり。

釣れても釣れなくても、自然と向き合う時間が楽しいそうだ。
年配の名人たちは口を揃えて言う、
「待ちに待ったシーズンじゃき、一日中、川に居っても飽きんがよ。」
「定年退職した自分らぁに、こんな幸せな時間をくれるがじゃき、自然に感謝やねぇ。」

自然の恵みが、みんなに幸せを分け与えてくれることを名人たちは理解している。
日の暮れ前になると、ピチピチの鮎が詰まったクーラーを担ぎ、名人たちが岐路に就いていく。
「帰って塩焼きにして、孫に食べらしちゃうがよ。それで、孫に注いでもろうたビールを飲んだら、また明日も川に行きたい。と思うようになるがよ。」

『名人も驚く・巨大天然ウナギ』

清流にじっと潜む黒い影が見える。
鮎と人気を二分する、安田川の天然・巨大ウナギだ。

大物を狙うためには、「はえ縄漁」が一番だという。
針の先に、餌となる「カンタロウ※巨大なミミズ(落葉や土の中に居るので、溝掃除をするときに捕まえておく)」を付け、夜のうちに巨大ウナギの潜むポイントに仕掛ける。
流されないように、そして、大物が掛かることを期待して、大きな石に糸をくくりつける。

そして翌早朝、太陽も登らない薄暗い中、昨晩仕掛けたポイントへ向かう。

「これは大物が掛かっちゅうぞ~!!」

糸から伝わる感覚に名人も大声を出した。

「見てみぃ!!オラの腕より太いが~!!」
「こりゃ~、この辺りの主を釣り上げたがえ~!!」

かなりの大物に、名人も興奮を隠せない。
釣り上げた「巨大ウナギ」は、大人の腕回りと同じほどの大きさだ。

この日は、大物を含めて大漁日となった。

「一匹も仕掛けに掛かっちゃあせん日もあるがよ。」
「けんど、こればぁ掛かってくれたら嬉しいねぇ。」
「今晩は、ウナギで宴会じゃなぁ。」

満足のいく釣果に、名人の顔も緩みっぱなしだ。

夕暮れになると、隣近所を呼んで、ウナギ祭りが始まる。

炭火で焼いた天然ウナギは、脂のノリ、身の弾力と旨さ、そして焼き上げた後の香ばしさが別格だ。

「天然のウナギも、森の恵み、自然の恵みじゃきねぇ。捕まえる楽しみ、食べる楽しみと両方が味わえる。いつまでも自然を大切にして、ウナギが棲む川を残していかんといかんわねぇ。」

自然を大切にする。
漁は食べる分だけにする。

自然の恵み感謝し、宴は夜遅くまで続いた。

『私たちの暮らし=森の恵み』

山の中、そして田畑で
村人たちの一年は忙しい。

春は山菜を採りに山へ入る。
目ぼしいポイントは人それぞれだが、持ち前の縄張りなどは存在しない。こればっかりは、早い者勝ちである。
イタドリ、ゼンマイ、タケノコ、ワラビ、タラの芽など、挙げればキリが無いほど馬路村は山菜の宝庫だ。
この時期は、おばぁちゃん、お母さん手づくりの山菜の煮物が食卓に並び、その味も代々受け継がれていく。

夏は安田川へパトロールに出かける。
今年の鮎はどうか?ウナギはどうか?
近年の地球環境の変化が、川の生き物たちに影響を与えていないか?
お母ちゃんに「川へ行かんと、仕事をしい!!」と怒られても、パトロールは欠かさない。
いや、欠かせないのだ。
そう、これは自分のためだけでなく、地球のためなのだから。

秋になると、収穫に勤しむ。
田畑に出かけ、黄金色の米を収穫し、そして黄色く色づいた「柚子」を収穫する。
もちろん、松茸山へ登ることも忘れない。
名人たちは、松茸の香りと、木々の生え方を頼りに探すが、いくら名人と言え、1本も採れない日もある。それでも、見つけた時の喜びは代えがたいものがあるから山へ登る。
名人たちは言う。
「あの松茸山だけは大事にしちょけ。」

馬路村の冬は厳しい。
南国・高知だが、山々に囲まれた馬路村は雪が降る。
冬になると、「追い山」と呼ばれる狩猟が解禁になり、名人たちが猟犬を連れて山に上がる。
一番の狙いは「イノシシ」だ。
山の狩猟にはルールがある。
自分たちの食べる分、そして、おすそ分けする分しか獲らない。当然だが、子連れのイノシシは獲らない。
そして、森の恵みに感謝して、その命を頂く。
森は、人間だけのものでない。
自然の摂理の中で共存し合うことが大切だと教えられてきた。

いつまでも森を、自然を大切にし、共に暮らしていく。
便利な時代になっても、私たちもそばには森がある。

森の恵みに感謝して、今日も一日が始まる。

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